物価が高いってどうやって知るの?
生活に食べ物、モノを購入することは欠かせません。
ふとコンビニに寄って、ふと菓子パンの値札を見たところ、「数年前よりも高くないか!?」と感じました。
そして、そもそもパン全体として、どれほど値段が上がったのだろう、肌感覚とあっているのか?と疑問が湧き、関連する事柄について調べたことを投稿します。
値段。高い安いというけれど、値段は何を基準に高い、低いといっているんだろう。
仕事でも目標値とかノルマとか、ことあるごとに数字で設定されるけれども、物価にも測る指標があるはず、と思い、調べてみるとあっさり見つかります。
見つけたのは、「消費者物価指数」=一般消費者から見た物価です。
説明はこちらのサイトがわかりやすいです。
消費者物価指数は、国の統計をとっており、数値が公表されています。
統計局のデータによると、
私が気になった穀類(菓子パンはこの分類と勝手に推測)は、2015年を100としたとき、105.1でした。
5%増。高くなっています。消費税増税で8%→10%になったので、2%増に加えて、3%割増です。
なお、消費者物価指数は生データ収集時の特徴として、上方バイアスがかかりやすい傾向のある指標ということで、私たちが穀類を買うときにそのまま5%上昇と言い切れないことに注意。
それでも、2015年をベースに約105。
10年、15年前と比較すると、明らかに物価上昇しています。肌感覚とあい、安心しましたが、物価上昇しても、収入が物価と同じペースで増えるとは限らないので、多少注意しないといけませんね。
「どう生きる?どこで生きる」を見て
ある程度いい年になってきて、どう生きていこうか?と考えることが増えてきた。
その折に、テレビ東京で「どう生きる?どこで生きる?」が放送されていた。
「どう生きる?どこで生きる?」は、30代前後の世代を中心に、彼らなりの生き方を選び、夢に向かって突き進んでいく姿を紹介する番組である。
この番組は色々な気づきを与えてくれたし、勇気も分け与えてくれた。ご覧になっていない方は、今ならTVerで後半番組が見れます。
番組の中では、
- やりたいことの種と10代後半の早くから出会って、それを育てていった人
- 旅行などの偶然の出会いと通して、日本の地域の魅力に触れ、そこに移り住んでいく人
- 番組観覧した大学生と質問をやりとりし、夢に向かって突き進む先輩方と若者の実態を写している
番組をみていて、地域移住を中心に説明しており、地域発信の若者は少ない印象は受けたものの、その出演された若者方の行動力には驚かされた。人によっては、2週間ほどで今住む先から、移住先へと熱意だけで行動した人もいるほど。
私の人生、四半世紀過ぎたが、思いっきり打ち込むもの、のめり込むものには気づけていないなと思う。早く見つけられた人がいるならば、存分にのめり込むで楽しい部分も苦しい部分も味わってほしいなと思う。
私は、まだまだ色んなことを私の五感で直に体験して、探しつづけることを今の趣味としていきたい。
そうすれば、最終的には見つけられるんじゃないかなと思う。
武田鉄矢のラジオでも、ちょうど人生でやりたいことを見つける、これでいいんだと思える年代になるのは40代と発信されていた。
今後も、興味関心のおもむくままに。
相手に見えない経験をすること
中途採用の人やずば抜けていると感じている人をそばで見ていて何が違うのだろうとふと思ったことが一つ。
相手に見えない経験をしている
出張先の上司に、飲み会でふと伝えられた言葉なのだが、経験上グサッときて、よく覚えている。
理由を振り返ってみる。
会社に入ってから数年して、中途の人が加わるとする。そうすると、私のようなヤジウマ根性のある人間は、その人がどのような経歴でどのような成果や経験を積み上げてきたか、非常に気になる。
たまに、気にしない人もいるだろうが、大半の人はグループに得体の知れない何かが加わると、それを知りたいという圧力が集団にかかるのではないだろうか。
たとえば、小学校でクラスに転校生が入るときはそうだ。
そのとき、一定期間は良くも悪くも注目度が上がり、一挙手一投足が取り沙汰される。
その期間の振る舞いや言動を乗り切れば、あるポジションを確保できるのではないかと思う。
私はそういった点で、変化の起こるタイミングでのポジション取りが上手くはないのかも知れない。
ただ、相手に見えない経験をすることで、その人の発言の重みが増す。説得力が加わる。それを活かすも殺すも、発言のマネジメント次第になると思う。
相手に見えない経験で、培った事柄や実体験をできる限り言語化して、アウトプットして、その中のエッセンスを抽出できれば、見えない経験をする前後で大きな変化をもたらし、余裕を作ることができる。
いま、相手に見えない経験の真っ只中にいる私。
それを活かす仕掛けと、変化を感じるための仕掛けを試行錯誤してやっていきたいと改めて思う。
仕組みを理解する
- 仕事ができるな〜
- 説明が上手だな〜
- 賢いひとだな〜
という人を見かける度に、どんな点が私と違うんだろうと考える。
私は、相手が言ったことを理解することは得意だと自称しているのだが、
いかんせん、物事を伝えるアウトプットの方はからきし良くない。
相手に説明して、「ここは分かった?」と尋ねると、「ううんわからない。」と言われる。悲しくなる。続けて、必死こいて説明しようとすると、余計こんがらがってしまう。悲惨だ。
一旦その話は脇に置くとして、
説明上手な人と私の違いは、対象となる物事の仕組みを理解できている点にあると思っている。「仕組みを理解しろ!」という言葉はよく言われるから、余計分かりにくい点があるので、代わりに、「仕組みを理解した」ことを具体的に示す方法を考えると、わかりやすいかもしれない。
「仕組みを理解した」というには何が必要だろうか?
私はそれを、「イメージ図に置き換えられる」ことと考えている。なぜなら、私の周囲の説明上手な人や賢いなという人を見ると、多くの人が理解したことをその場でささっと図に描いて、示してくれ、それが私の理解に助かったことが実体験として多々あるからだ。
さらに、私が学んで理解できたと思ったことを、いざ図に描いて相手に説明しようとすると、どんな情報をどんな図を用いて説明すればよいか、取捨選択にまよって、わかりづらい図になってしまう。その切り口からも、説明上手な人との違いはイメージに置き換えられるかだなと思う。
仕組みを理解する ≒ イメージに置き換えるのが上手い
説明上手な人をこれだけで説明しきれるとは思わないが、イメージを使う効果は身をもって痛感してきているので、「イメージに置き換える」というワークを意識的に増やしてコツを掴んでいきたいと思う。
慣れだよ慣れという言葉をよく聴くし、「イメージを置き換える」ことを大小様々な場面で使ってみて、習熟して、説明上手への道を駆け上がれるようにしたい。
では早速と言いたい所だが、それは私生活で試していくこととするので、この場では割愛する。。
言葉にすることを大切にしたい
うっすらと読んでクリップしておいたこの記事。
あらためて読んでみて、最近しっかりやらないとなと思ったので、記憶に留めるためにも本投稿を書いてみる。
ひとそれぞれ、普段から仕事や遊びやメディアを通じて、さまざまな大量の情報に触れていると思う。その中で、記事の中で伝えている「こころの揺れ」(とても心地よい、優しげな表現に感じたこの言葉)を、様々な形で感じているのではないだろうか。
かくいう、私も映画を見たり、本を読むことが好きで、特にヒューマンドラマが含まれている作品に出会うと、感動させられることが多々ある。
その度毎に、こういう感情がどうして生まれてきたんだろう、なんでこんなに感動するんだろうと、自身を客観的に見る機会がある。しかし、その感情は言葉にされることなく、楽しかった/感動した/ワクワクしたなどの比較的簡易的な言葉で置き換えてしまうことが多い。
そんな事を考えているときに、この記事を読むと、勉強と戒めになる。
私が言語化することに関心があるためでもあるが。
感動したり、悲しくなったり、嬉しくなったりしたときに、この記事に書いてある、
- 「この感じ」は、なにに似ているだろう?
- ここに名前をつけるとしたら、どんなことばになるだろう?
という切り口から、言葉に表現してみることをやって、洗練させたい。
とはいっても、3日坊主な私なので、適度な具合で進めていこうと思う。